腹ごしらえの済んだ一行は、
再びバスに揺られ、今度は安全寺地区へ。
鹿嶋先生 「次の家はもともとお店を営んでいた家です。
一人暮らしになった奥さまが5年ほど前にお亡くなりになって、
そのままになっています。」
鹿島先生 「借り手がいたら、いつでも貸していいと、持ち主はおっしゃっています。」
「立派だね」
「お店やさんだったのかな」など一行が口々にいいながら
中に入ろうと玄関の引き戸を開けた、その先に、皆の目が釘付けになった。
魂抜きをしていないお仏壇に、たくさんの遺影と位牌が置いてあったのだ。
ここから、仏間、居間、寝室については
主に文章で綴ることにする。
それは、この家にはあまりに故人の生活が濃厚に残っていて、
見知らぬ他人が入ってくるだろうことを
想定されていない空間のように思われたためだ。
玄関正面の仏壇からのびる通り土間のある玄関を上がると、6畳ほどの居間がある。
手書きの張り紙で「デイサービスの日」というタイトルに、
月日と曜日、担当者の名前が書かれている。
ゴミ出しカレンダーは2011年のままだ。
その横のカレンダーも2011年9月と10月で終わっている。
居間の真ん中に、大きな石油ストーブがでんと置いてある。
煙突が天井を這っている。
部屋が狭く感じられるのはそのためだけではない。
室内にもかかわらず、
誘虫器具(紫外線で虫を誘って感電させる器具)が天井に設置されているのである。
居間の襖を開けると、そこは寝室であるようだった。
介護用ベッドを中心に、布団が折り重なるように左右に積み上がっている。
ところ狭しと並んだ衣装ケースに、服やタオルが溢れかえっている。
子供の身長を刻んだ柱、ではなく、大きな洋服ダンスが
ここにかつて、確かにある家族が幸せに暮らしたらしい日々の痕跡を残している。
昭和50年代を中心とした、数ヶ月ごとの記録。
写真の掲載許可が取れたのは、台所と、旧店舗部分である。
とても綺麗に整頓された台所だ。
居間のカレンダーのメモといい、台所といい、
この家の家主は、日々を丁寧に暮らした人であったらしいことが偲ばれる。
台所は勝手口もあり、南向きの窓が明るい。
鍋や洗いカゴ、スポンジや布巾の置き方ひとつとっても、
以前の住み手の気配がそのまま残っているのである。
記憶の奥底に沈み込んでしまいそうな
「どこの実家にもありそうな、アレ」。
造花もキューピーも、普段ならくすりと笑えるものが、
このときばかりは、どこか胸を締めつけるのだった。
以前は店を営んでいたというこの家の、おそらく店舗スペース。
どんな店だったのか、今では推して知るより他はない。
バスに戻った一行は、それまでになく無口になっていた。
「空き家」。
その現実に胸を掴まれたままの一行を乗せ、
バスは次の目的地、真山神社に向けて発車した。
バスに揺られて周囲を見渡すと、やはり空き家がちらほら目に入る。
この一軒一軒に、人が暮らしてきた跡が残っているのだ。
先ほどの空き家と同じように……。
重い空気を破るように、猿田さんが口を開いた。
猿田 「空き家はこれでおしまいです。こうやってみると、空き家がいかに多いかがお分かりいただけたかと思います。
これだけ人口が減っていますので、地域の行事なども人手不足です。
僕の住んでいる真山地区では、神輿の担ぎ手がいないので、今は車で担いでいるんですよ。
このままではなまはげだって、続けていくことが困難です。
なまはげなんて、そんなに大事なのか、ということをいう人もいるかもしれませんが、
僕個人の仮説なんですが
『なまはげを迎え入れなくなった家は数年後には人が住まなくなる』のではないか、
と思ってるんです」
え? なまはげを入れないと、家がなくなる?
猿田 「地域のお祭りや行事って、長く続けられてきたものにはそれなりに意味があると考えます。
なのでそういう文化を受け継ぐということは
その土地で暮らし続けていこうという意思のようなものだと思うんですが、
なまはげはを家に迎え入れなくなった理由のひとつに
「信仰心」が薄れたことが大きな理由のひとつだと考えていますけど、
地元の人たちの声に耳を傾けると
「なまはげを迎え入れる準備が大変だから」
「家の中が散らかったり汚れたりするから」
「家にはもう子供や孫が住んでいないし、年寄りばかりから」
というんです。
正直言うと自分自身も決して信仰心の厚い人間だとは思っていないのですが、
昔も今も、何かを信じる力だったり地域との交流やつながりって、
自分たちの心を養ったり強く鍛えるために
すごく大事な役割を果たしていたんだな、と気づいたんです。
僕はせっかく今まで続いてきた文化をここで途絶えさせたくないし、
ここで自分も暮らし、次の世代にバトンを渡せる町や集落にしたいと思っています。
※ここから猿田さんの「男鹿への思い」が溢れ出る語りはまだまだ続きます。
興味のある方は→こちら
もし今回この『空き家ツアー』に参加して下さった皆さんのなかで、
空き家の活用方法や、アートで地域課題を解決する
いいアイデアをお持ちであれば、
ぜひそれを参考にさせていただきたい!」
正直なところ、「空き家」の現実を目の当たりにして、
しばし考え込んでしまった。
空き家は空き家になろうとして空き家なのではない。
引っ越しや病気や死など、人が避けては通れない部分を通過して
期せずして人がいなくなった家々は、
いわゆる賃貸住宅のような「明日から住めます!」というまっさらな状況からはほど遠く
見知らぬ誰かの過去の生活の匂いを色濃く残していた。
ここで明日から生活ができるだろうか?
生活以外の何かをここではじめることができるだろうか?
「普通の頭」では答えの出ない問いを前に、ぐるぐると考えているつもりが、
いつの間にか、空き家の放つ匂いを思い出している始末。
つまり、まったく歯が立たないのである。
この一日のバスツアーを経て、
さまざまな思いが浮かんでは消え、
圧倒的な体験の強さだけが残ったユカリロ。
これは、誰かに話しを聞かねば。
この体験を言葉にしてくれる、誰かに。
「困ったときは誰かに頼る」がモットーのユカリロ。
ツアーに同行された秋田経済新聞のチバさんに
急遽インタビューを決行することになった。
→秋経チバさんへのインタビューへ