森は考える。でもどこで?

第1回 畠山鶴松の落書き|シンポジウム・フィールドワーク
第2回 なべっこ遠足|フィールドワーク
第3回 ”小さな問題”から捉える朝市|フィールドワーク
第4回 木を食べよう|フィールドワーク
第5回 五城目町を博物館に見立てるなら|フィールドワーク

第4回「木を食べよう」|フィールドワーク

2017/11/ 5(SUN)

左から柳澤龍さん、三浦豊さん、皆川嘉博先生
左から柳澤龍さん、三浦豊さん、皆川嘉博先生

[講師]

三浦 豊(森の案内人)

佐藤友亮(佐藤木材容器)

皆川嘉博(彫刻家/秋田公立美術大学准教授)

 

 

〜プログラム〜


  9:00 ものかたり集合
  9:30 雑木林散策(於自然保安林「環境と文化の村」)

 

 12:30 昼食

 

 13:30 カンナ実演/木の香りの聞き比べ/木を食べる
 14:00 解説テーマ「木と信仰」

 15:00 解散



★持ち物
①フィールドノート(持ち運びやすいクロッキー帳やスケッチブックなど)
②筆記具 

雑木林を散策するので、動きやすい格好と防寒対策はお忘れなく!

 

「森の案内人」という肩書きができるまで


「木を食べる」という突飛なような、「木育」「食育」という既視感のあるワードがこんがらがったような第3回目のタイトルに、内心文句ブーブーだったユカリロ編集部。だが、ゲストに興味があった。「森の案内人」として活動している三浦豊さんである。

 

 


三浦さんの著書である「木のみかた街を歩こう、森へ行こう(コーヒーと一冊)」(ミシマ社、2017)は、木の特性と森の多様性について書かれた一冊である。そういうことだけの本なら珍しくはない。ユカリロが気になったのは、平易で柔和な語り口に紛れてチラチラと見える

 

「苔にリスペクトを」

 

「自分のなかの『葉っぱ概念』が覆って」

 

といった不思議な記述である。

 

一本の木を1時間ぐらい見ていられる

 

とも書いてるし……、  なんていうか、森への愛情がちょっと過剰かも。そういう「偏愛性」が大好物である我々には、

なんか匂ったというべきか。

三浦豊さんは1977年、京都生まれで、日本大学芸術学科在学時以外は京都で過ごしてきたそうだ。大学はデザイン学科で建築を専攻。「心地いい空間とは」ということを考えて追求する学生生活のなかで、2年間ぐらいかけてたくさん拾い、大学ノートいっぱいに書いていったという。
「風が通る」
「ちょうちょが飛んでいる」
「木の枝が揺らいでいる」
「親しい友達がいる」

また都市のアスファルトの隙間からでも芽吹く草木に深く感動する。だれも種をまいていないのに、草が生え、木が育ち、森になるということ。

 

 

足元の草を見つけて「あ、これもう未来の森ですね」と三浦さん。
足元の草を見つけて「あ、これもう未来の森ですね」と三浦さん。

 

「この営みに寄り添いたい、と思ったんです」と三浦さん。その二つの思いを叶えるとしたら、それはもう建築ではないな、庭だな、ということで京都に帰り、庭師として働き始めたそうだ。
京都の庭はすばらしい。しかし、江戸時代に桂離宮、修学院離宮、龍安寺という凄まじい完成度の庭ができたために、後世に生きる我々はそれを越えられないという巨大な芸術がもうできあがっており、それをコピペしているような状態なのだそうだ。それに違和感を覚えた三浦さんは、現代の庭とはどうあるべきなのかを考えるようになった。


三浦さん「人間が自動車で移動する時代の庭とは?インターネットがこれだけ普及した時代の庭とは?それに対する答えがないんですね。調べれば調べるほど、有史以来日本は現在がもっとも木が生い茂っている状態なんです。木の恵みを我々が直接いただくことなく生きていけるために、関心がなくなっている。ガソリン、電気、ガスなどがあるからです。庭を、空間ではなく、ホームページみたいな、そういう空間になってもいいのかなとか、いろいろ今も考えているうちに、庭師として活動することに違和感が出てきて。」

 

 

 

「森の案内人」という肩書きは、いうまでもなく三浦さん自身が作り出したもの。今は依頼があったり、自分で企画して、北は北海道から南は沖縄までの森を案内して回っているのだという。

三浦さん「昨日、森の下見をしたので、ここに生えている主な木の名前をプリントに書いておきましたが、歩きながら気になるものがあったらどんどん聞いてくださいね。」

 

 

斜面と日当たりと一人が好き

~赤松(アカマツ)~


「環境と文化の村」の自然保安林の手前のぽっかりと開けた場所で、三浦さんが立ち止まる。

三浦さん「これがアカマツです。アカマツは斜面と、直射日光があたる岩の上が好きです。多くの木は土が増えると喜び勇んで成長しますが、アカマツは土が肥えていくと枯れていく木です。昔は人間が薪を切り出し、落ち葉も集めて堆肥にしていたので、集落の周りには木がほとんどなくて草原のような痩せ地でした。その痩せ地に生えることができるのが、このマツです。昔の原風景というと、きっとここのような広場にマツが生えているというような光景ではないでしょうか。」

確かに周囲にはちょっとした草以外には木らしい木は見当たらない。

三浦さん「他の木が生きていけないような岩場にも生えられるのは、マツは養分がいらないからです。すごい能力を持っていて、空気中に住んでいる約40種類の菌と契約を結んでいます。空気中の菌が根っこにやってきて、養分をマツにあげるんです。マツは『よう来た』ということで光合成で得た養分を菌にあげます。ウィンウィンの関係です。これらの菌のことを『菌根菌』と呼びます。その菌根菌で最も有名なものが松茸菌です。」

キンコンキン、キンコンキン。
言いたいだけ。まるで小学生に返ったように皆口々に言い交わす。

三浦さん「マツのすごさはこの真緑感です。真夏のとても暑い日も、厳冬期には一部凍りながらでも、一年中変わらない姿でいます。海岸沿いで波しぶきを浴びながら立っているのも、マツ。森林限界ギリギリまで生えているのも、ハイマツというマツです。
海のキワから山のキワまで、岩の上まで生えていて、一年中変わらない姿。ということでマツは生命力の象徴です。昔は人間がもっとかんたんに病気になり、かんたんに死にました。幼い子どもであればあるほどそうでした。そうした脆弱さを昔の人はよく知っていたので、マツの変わらなさに対して畏敬の念を抱き、霊木として向き合ってきました。神社仏閣、聖地、家の門など、ここぞというところはマツを植えるんですね。マツの生きて行く力にあやかろうとしたわけです。」

いつもだったら何気なく通り過ぎるような、本当に目にも留まらないマツの木一本でこんなに語れることがあるなんて! それにまだ森にさえ入っていないなんて! やばい、この回、楽しい。高まるー!