失われつつある方言もアーカイブ装置になる

「“がっちゃぎ”という言葉、

わかりますか?」


目録やアーカイブが存在をつくる、ということの重大さをかみしめている受講生たちに、浅利さんが突然、こんなことを言い出した。

浅利さん「皆さん、『がっちゃぎ』という言葉、わかりますか? 秋田から北の日本海沿岸だけで使われていて、内陸のほうでは全然使われていないので、たいていの人はなんだかわからないと思いますが」

はてさて、と一同が首をひねるなか、秋田県南部・横手市ご出身の皆川先生が口を開いた。

皆川先生「昔CMでやってましたね。“『がっちゃぎ』の薬でなんでも治る”って。でも私は横手出身なんで、『がっちゃぎ』ってなんだろうと思っていました」

浅利さん「『がっちゃぎ』とは、いわゆる「痔」のことなんです」

え~! 痔?! 一同があんぐり口を開けているのを後目に、浅利さんはフルスロットルで話し始めた。

 


浅利さん「私は薬について博物館で調べていまして、よくよく聞いてみますと、がっちゃぎには不定愁訴の意味があるそうです。男鹿では『子どもが泣いたら、お腹が空いているか、おしめが濡れているか、がっちゃぎだ』と言われたそうで、もし原因不明で泣いている場合は〈がっちゃぎのババ〉に連れていったものだそうです。つまり、医者は病気は治せるが、がっちゃぎは治せないので、ババのところにも行く、というのが定番だったようなんですね。そこでもらう薬は黒く、どろりとしたものだったそうです。それを、なんとお尻の穴に塗るんです。体調のいいときはお尻の穴が締まっている。でもがっちゃぎのときはお尻の穴がふかふかしているものだと言われていました。


その後、がっちゃぎのババは医療資格を持っていないのに治療をしているということで取り締まられることになります。こっそり、善意でお薬を分けてもらうということはあったそうです。そこに東京の製薬会社が目をつけて、《さかきがっちゃぎの薬》というのを作ります。

がっちゃぎという病名とその薬は、一部エリアでしか使われていなかったんですが、その言葉と薬を通して、その地域のことがよくわかるんですよね。体調が悪くなっても、今、お尻の穴を触る人はいないですよね。でも当時は『がっちゃぎかもしれない』ということで、大抵の人がお尻薬を塗ることで、お尻の穴の締まりを確認していたわけです。お尻の状態を通して、自分の体調を自分で知っていた、そういう生活習慣があったということです。ただ、それをどこかに残して、シェアしていかないと、そういう習慣自体が〈なかったことになってしまう〉わけですよね。」

藤先生「存在がなくなっていくんだよね」

浅利さん「そうなんです。文化財とは言えないまでも『がっちゃぎ』という言葉だけで、いろんなことがわかるんです」

藤先生「その『がっちゃぎ』の薬が、なんと山平薬局さんにあったんですよね。それを浅利さんが見つけて。『これもうどこにも売ってない薬ですよ』と浅利さんがいうので、『じゃあ買おうかな』といったら『それは痔の薬ですけど』と言われて買わなかったんだけど、やはり買った方がよかったかな(笑)」

 

山平薬局で売られていたがっちゃぎの薬。
山平薬局で売られていたがっちゃぎの薬。

 

病名がついてはじめて病気が生まれる、ということがある。「肩こり」に相当する英語表現がないことで、英語圏の人間は肩こりの症状を感じにくいという説はわりと有名な話。

同様に現代医学の発展と時代の変化により、「がっちゃぎ」という言葉がなくなり、「がっちゃぎ」という病気もなくなろうとしている。体調が悪いときに肛門の締まりを確認する習慣は現代ではほぼ皆無だ。

しかし、「がっちゃぎ」の薬が山平薬局に残されていたことを発端に、「がっちゃぎ」という言葉がこの場でシェアされ、かつて「がっちゃぎ」という病気があり、それにまつわる薬や、〈がっちゃぎのババ〉と呼ばれる職業の存在があったということが人々の記憶に残っている。こうして「がっちゃぎ」と現代の間に生まれた「関係」によって、がっちゃぎはまだ「存在する」ともいえるのだった。

 

山平薬局のご夫妻。特に奥様が美術品収集、能など多彩な趣味をお持ちなのだとか。
山平薬局のご夫妻。特に奥様が美術品収集、能など多彩な趣味をお持ちなのだとか。

 

2017年12月、106年続いた山平薬局は店じまいをした。私たちは偶然にも消滅前ギリギリに間に合って、「がっちゃぎの薬」を知ることができたのだった。