皆川嘉左エ門氏とめぐる

県南地域の旅 その⑤

重福寺で仁王像を拝観

 

昼食を終えた一行は、
秋田藩主佐竹公菩提寺で一関童策大和尚が開祖したという
宝蔵山重福寺へ。

 

 

創建は寛文元年(1661年)という歴史あるお寺ですが、
戊辰戦争と昭和26年(1951年)の火災でほとんどの建物や寺宝が焼失し、
正面の仁王門は平成12年(2000年)に再建されたのだそう。

その再建時、仁王像を奉納したのが、嘉左エ門さんでした。
当時芸大で研究生だったという皆川先生が
学生をたくさん連れてきて、奉納の手伝いをしたといいます。

  嘉左エ門さん「最後、仁王像をここさ持ってきて
         いざ仁王像を入れようと思ったら、
         あんまり寸法がぴったりすぎて入らなくてな!」
         嘉左エ門さんは豪快に笑います。

 

「若かったから彫れた勢いがあるな」と嘉左エ門さん。
「若かったから彫れた勢いがあるな」と嘉左エ門さん。

 

副住職の国安格典さんが、
「継承」について興味深い話をしてくれました。

 

国安格典副住職は皆川先生の高校の後輩だとか!
国安格典副住職は皆川先生の高校の後輩だとか!

 

国安副住職「かつて、お寺というのは世襲制ではありませんでした。
     世襲制になったのは明治時代のいわゆる『肉食妻帯令(1872年)』が公布されてからのことです。
     うちの寺でいえば縁起が1616年ですから、
     少なくとも250年以上は、世襲ではなく、
     曹洞宗の法系の優秀な人が指名されて各寺の住職になっていたわけです。
     後継というのは必ずしも親子である必要はなく、
     また寺に限っていえば、世襲でない時代のほうが圧倒的に長いんですよ」

 

 

 

「継承」も、必ずしも家族だけの問題ではない。
それはこれまでの「継承は各家庭のこと」と
互いに踏み入れることができなかった問題の核の部分に
風穴を開けてくれそうな大きなヒントとなる視点でした。

今回、紅玉さんで聞いた「地域」の考え方、
重福寺で聞いた「継承」の歴史。
嘉左エ門さんはじめ、
地域に根ざして活動している人たちは、
限定的な地理的な意味での「地域」の枠を超え、
広い視野をもって、過去と未来をつないでいる人たちである、というのが
県南ツアーの印象。
帰りのバスのなか、「あんなこともできる、こんなことも継承したい」と
車内が盛り上がったのは、いうまでもありません。

重福寺の前で、記念撮影。
重福寺の前で、記念撮影。

 

【問い合わせ先】
宝蔵山重福寺
秋田県横手市大雄字山王65
☎︎0182-52-2471


 


【お題】
お題1 「このツアーで印象に残ったこと」

お題2
「減反画廊に自分の作品が飾られるとしたら、どんな作品にするか」
作品のイラスト(彫った作品の写真も可)と、その理由(150文字以内)

お題3
「県南ツアーで出逢った場所や人。その中で自分が“継承”するとしたら、どこか。そこで自身が何をしてみたいか」について、イラストなどと、その理由(150文字以内)
(“継承”とは引き継ぐだけでなく、取捨選択の作業でもあります。それを念頭におこたえください)

 

 

                                              (完)