その4 地域の文脈によりそう

アートプロジェクト

芝山昌也先生の話(後編)

©Atsumi Kosaka
©Atsumi Kosaka

芝山昌也(しばやま まさや)

1972兵庫県生まれ。金沢美術工芸大学で彫刻を専攻し、美術工芸研究科で博士号取得。2001ポーラ美術振興財団在外研修員として渡米。2009より秋田県上小阿仁村と十日町市仁田集落の交流プロジェクトを手がけている。彫刻家として個展やグループ展等で発表する傍ら、近年は秋田県のKAMIKOANIプロジェクト秋田のディレクションを行うなど、アートプロジェクトに積極的に関わっている。現在、金沢美術工芸大学彫刻専攻准教授。


4年目を迎えて


芝山  4年目を迎えて、集落のおばあちゃんに

    「この季節がきたね」とか

    「今度はどんな人がくるの?」と声をかけられるようになっています。

    「楽しみ」まではいかなくても、

    「ないと寂しい」ぐらいには認識してもらえているのかなと思います。


芝山  ただ、過疎地ですので、十数軒しかない集落の4軒ほどが、

    住み手がいなくなったために消失しました。

    つまり、誰も口には出さないけれど、

    この集落の行く末がある程度予想できる、

    というところまできているというのが現実です。

 

    この限界集落という地域に関わるということは、

    アートツーリズムとか、芸術の普及とか啓蒙とかいうことと

    一線を置いておかなければならないな、というふうに思っています。

    もちろん、成果とか経済効果とかそういうことは大事だし、

    近代化に乗り遅れた地域だからこそ残る

    営みの記憶というものをどういうふうにつないでいくかという、

    そういうことが課題になっていくのかなと思います。

 

 

    秋田はその問題の最先端にいるわけですから、

    いかに集落に寄り添い、過ごしていけるかということは命題です。

 

古い記憶をどうつないでいくか

~アートにしかできない残しかた~

 

芝山  これは2013年に最初に発表された田附勝「見えないところに私をしまう(2013)」です。

 

    これは八木沢集落の人や廃墟などを撮って、

    それを使われなくなったトタン農機具小屋に展示するというもので、

    今年で公開は3年目です。

    「朽ち果てる展示」ということで、

    雨風、雪がぼとぼとと落ちてくるような環境に敢えて小屋を置いたままにして、

    作品が朽ち果てていく様子も含めて作品となっているものです。

 

    中に入りますと、八木沢集落最後のマタギの佐藤リョウゾウさんという方の写真が

    いちばん大きく展示してあります。

    この地域に僕がこれだけ入れ込むようになったきっかけになったのはこの人で、

    「KAMIKOANIプロジェクトをやりたい」と僕が相談に行ったときも、

    この人がキーマンでした。

    つまり、リョウゾウさんが認めれば、他の人も認めざるを得ないという。

    リョウゾウさんは林業を営んでいたので、山から木を下ろす方法など、

    僕なんかは宮本常一(注1)の本なんかでしか知らないようなことを、

    教えてくれたりして強烈に印象に残っている人でした。


    (注1)宮本常一

    宮本常一(1907-1981)

    民俗学者。生涯に渡り、日本各地の離島や農村漁村を歩き、庶民の暮らしを記録した。

    著書に『忘れられた日本人』『私の日本地図(全15巻)』など多数。


 

芝山  リョウゾウさんはこの写真が撮影された3ヶ月後に亡くなりました。

    このことは、集落が小さくなってくことを強烈に感じさせる出来事でした。

 

    古い記憶をどうつないでいくか、ということでは

    博物館や郷土資料館などにアーカイブとして残すことも考えられますが、

    限界集落という辺境でアートプロジェクトを行うということは、

    アートにしかできない残し方を考えるという意味で

    アートの一つの可能性として残されているのかなということを思っています。

 

 

 

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