yukariRoインタビュー

アキケイ・チバとユカリロのつぶやき

その2 皆川嘉左エ門さんと行く県南ツアー編

 


男鹿空き家ツアーを経て、一筋の光を見出すどころか、

「アート×秋田」のマッチングにますます疑念を深めたユカリロ。

しかし、県南ツアーで出会ったのは、

そんなユカリロの不安を振り払うかのごとく、

どっしりと「地域」に軸足を置きながら、

「アート」している人たちのたくましい姿でした。

 

ユカリロは
秋田のビジネス&カルチャーニュースをウェブで発信している
秋田経済新聞のチバさんにインタビューを決行しました。
アート×秋田、カルチャー×秋田と
「AKIBI plus」×秋田のこれからについて見えてきたものとは。

 

 


©Nozomi Takahashi
©Nozomi Takahashi

 

千葉尚志(ちば・ひさし)


1967年秋田市生まれ、秋田高校卒、神奈川大学経済学部卒。

フリーランスのウェブ制作者を経て、現在はウェブ制作会社経営のほか、

ニュースサイト「秋田経済新聞」編集部運営を行なっている。
全国初のご当地版モノポリー「秋田県版」や、ご当地トランプ「なまはげ印の大富豪専用トランプ」「同・超神ネイガー版」などを企画・制作・販売

 

地域に根ざしながら

アートを続けていくということ



秋田経済新聞・チバ(以下チバ)今回のおおもとのお題である「アートマネジメント」という考え方でいえば、非常にヒントにあふれた事例だったかもしれないですね。今回のツアーは、県南に「皆川嘉左エ門」(以下、嘉左エ門さん)という一人の作家が存在するということがキーポイントでした。「地域に根ざして」という一貫としたキーワードはあったよね。

ユカリロ・三谷(以下三谷):今回のツアーは、なぜかとても安心感がありました。それはまさに地域に根ざした皆川家が長年にわたり築いてきたものですよね。
 嘉左エ門さんも、皆川嘉博先生(以下、皆川先生)も県南に対する地元愛というのをご自身でも強くお持ちで、地元の方々との関係性にも安定感があって。よそ者にはああいうふうにはできないかなって。3回目のツアーで行く予定の五城目も移住者と地元の人の良好な関係がすばらしいと思うのだけど、それともちょっと違う……。「土着感」と言ってもいいかもしれない。

チバ:まさにそうですよね。親から子へ、完璧に受け継いでいらっしゃるよね、いい意味でね。
 嘉左エ門さんのやっている彫刻という仕事なんて、始められた当初は地元でそもそもなかなか受け入れられにくかったはずですよ。

三谷:嘉左エ門さんの奥様が、昔は嫌味を言われたり、からかわれたりしたこともあった、とお話しされていましたものね。たしかに、「何かが役に立つことに価値がある」という農村部の暮らしで、いわゆる「役に立たない」といわれる彫刻作品を、それにもかかわらず作り続けている人って、やっぱり不思議な存在だったろうし、作品が評価されたらされたで「アートなんてよくわからない」という部分と、「一体いくらになったんだろう」という想像の及ばなさが、「地道にコツコツ」という農村部の美徳とは正反対の世界のように思えて、ともすればやっかみにつながってくるところがあるのかもな、などと想像しました。

チバ:さすが三谷さん。クールな分析ですな(笑)。たしかに農村部での工芸というのはほとんどが生活必需品の民具として残されているわけじゃないですか。生活に直接関係しないもののなかには「こけし」とかはあるんだけどね。基本的に生活に直結しているものだから、ああいうアート作品というのは、当時からしたら理解がされにくかっただろうね。
 まず、嘉左エ門さんは農村の中でポジションを作らないといけなかったわけだ。
「発信する」というのはふわふわ浮いている状態ではダメで、確固たる何かを築き上げていかないと外へは広がらないし人を惹きつけるものにはならないと思うんです。それを嘉左エ門さんは長年をかけて築き上げてきた。少なくとも、地元で嘉左エ門さんのことを知らない人はいないわけでしょう?
 セルフプロデュースをしているという意識が嘉左エ門さんご自身にあったかどうかわからないけれど、ローカル環境でアートで食べていくというのがほぼ現実的ではない中で、それを実現している稀有な人の一人です。

三谷:「減反画廊」もそのような発信の一つだったんですね。
 私はどうもファミリーヒストリーが気になるタチで、ちょっと印象的だったのが、「減反画廊」に飾ってあった皆川先生の作品のクレジット。作品名もなかったり、苗字すら入っていないこともあるんだけれども、必ず入っているのが「嘉博 芸大卒」の5文字。
 だから、息子の皆川先生が東京芸術大学に入ったということは、皆川先生ご自身だけではなく、一家の悲願だったんだなあと思って。それは皆川家が「彫刻」を続けて、「継承」していくために、周囲の理解を得るためにも、必要な一つのピースだったのかな、と想像しました。

デリカテッセン紅玉が提唱する

新たな「地域」の概念

 

ユカリロ・高橋(以下高橋):あのツアーでは最初に嘉左エ門さんのところに行って、デリカテッセン&カフェテリア紅玉さんのところに行き、最後は重福寺さんに行ったという流れでしたよね? 

チバ:紅玉の高橋基さんはキーパーソンだよね。

三谷:うん、そう思いました! 

チバ:お昼の定食を前に、メニューの説明や素材の産地などのお話をしてくださったよね。紅玉さんのお惣菜の作り方、メニュー、売り出し方。僕はまさにアートマネジメントだと思う。野菜をアートに置き換えると似たようなことができるわけで。高橋基さんがアートマネジメントという考え方を意識しているのかしていないのかは分からないけれども、自然とお惣菜であったりカフェの経営に取り入れているなあと。

三谷:それって、マネジメントという観点なら「なるほど」と思うんですけど、アートマネジメントという観点でいくと、どのあたりがアートの要素なんでしょうか?

チバ:セレクトしているよね。アートも誰が描いた絵でもいいわけじゃないじゃないですか。高橋基さんも、なんでもかんでも「秋田県産」にこだわっているわけじゃな かったよね。四国とかのものでも、考え方や想いが同じであればそこが「地域」だという概念をつくって、そこにマッチするものを組み合わせて提案していくというところですかね。

三谷:たしかに高橋基さんは「『地域』とは自分たちの県南だとか秋田とか、そういったことではなくて同じような環境にある地域であれば、(距離が離れていても)そこは同じように『地域』である」とおっしゃっていて、その言葉がなんだかストンと腑に落ちました。他にも外食産業の中で地元の人たちのネットワークをつくって、農家さんとの連携と、収量と注文数のバランスを取る仕組みを作っているという話もあったり。つまり、外食産業側にも、農業者の側にも無理なく「継 続」できて、みんなにメリットの多い仕組みですよね。こうして「継続」できたことが、「継承」につながるわけですよね。長い継続が「継承」ですから。

高橋:最初からうまくいっていたわけじゃなく、紅玉というお店を軌道に乗せるまで、3年以上はかかったということを以前におっしゃっていて。

チバ:圧倒的に「継続力」ですよね。

三谷:「継続力」ってアートでもけっこう重要なポイントになりますよね。紅玉さんには、今までの継続ももちろんあるだろうし、これからもきっとこうやって継続していきそうな、どっしりとした感じを感じるわけです。

チバ:三谷さんが感じられた「継続力」だとか「安定感」というのもね。僕はたまたま彼らの活動をずっと見てきたわけですよ。紅玉を立ち上げたときに、彼らは屋台形式の出店もしたんですよね。県内のイベント会場をまわって、そこのブースでお惣菜を販売していたわけ。最初3年ぐらいやっていたのかな? 
 イベントってね。日銭を稼げるように見えるけど、意外とそうでもないんですよ。主催者に場所代も支払うしね。それがおおもとにあるから今の安定感につながっているんだ思うんだけれど。
 やっぱり下積みって大事で。いきなりヒット商品をぽんと出して、はい当たりましたっていうのはね、その後生きながらえたとしても、安定感や継続力にはつながらないと思うんだよね。
 彼はその下積み的なことをやっていたわけですよね。きっとその期間の中で今の店を安定させるためのいろんな気づきを得られていたんだと思います。

高橋:高橋基さんはとにかく、すごく勉強もしていらっしゃいますよね。
 県南って甘い味付けの料理が多いのに、紅玉さんのお惣菜って甘くないじゃないですか。だから最初は受け入れられにくかったらしいんです。「もっと甘くすれば?」とか「他のお店に比べて高い」とか。素材にこだわっているから高いということが周囲には理解されにくかったって。
 イベントでお惣菜を販売していたということは、そこで売れた場合「自分たちの味は間違っていなかったんだ」という自信につながっていたんじゃないかなって今のお話を聞いて、思いました。売り上げにもつながるだろうけど、継続するための自信につながるほうが大きかったんじゃないかなって。

チバ:新ジャンルをあの土地に作ることができたんだよね。

高橋:そうそう!

チバ:地元の人の口に合うような味付けにするのではなく、ユーザーに媚びずに、自分が信じたものを提供したい。それを押しつけようとしたところで買ってくれるわけでもない。ただ、その価値っていうのを継続することで作っていったんだよね。だから同じようなお店、紅玉さんを真似したお店は、あのエリアには作れないよね。紅玉さんにはかなわないから。

高橋:県南ツアーで一番印象深かったし、ツアーのお題で「継承したいものは何ですか?」というのが出ていましたが、私の場合は紅玉さんかなと。

三谷:紅玉さん、ポイントでしたね。おいしくて、おもしろかった。皆川先生は単に「基さんと同級生だから選んだんです。十文字ラーメンと悩んだんだけどね」なんて笑い話でおっしゃっていましたよ。

高橋:関係が近すぎると見えないものがあるんじゃない? 地元のことって、自分でも知っているようでいてわかっていないこととか、当たり前すぎてその価値を正確に判断できないときって、自分にもあるような気がするもの。

チバ:やっぱりね、地元って切っても切れないんですよ。地元が嫌いで出て行ったとしても「嫌いだ」っていう意識は残っているわけだから、切れてないわけですよ。無関心にはなっていない。

三谷:私のようなよそ者からしたら、代々暮らしてきた地元がちゃんとあって、そういう切っても切れない関係や感情を抱えながらも地元で暮らし続けている人たちのもつ安定感って、とても羨ましくもあります。嘉左エ門さんも、高橋基さんも、国安住職も、職業は違えどそういう地元をえいっと背負って地に足をつけて立っている感じがして。

 先祖代々受け継いできた時間的な連なりと、今自分たちが立脚している地域という水平的な広がりの両方を、自分の仕事の原動力にされている。そういう説得力って、なかなか持てないと思うもの。


高橋:外からはわからないような、地域独特の何かを心の中では抱えていらっしゃるのかもしれないけどね。


チバ:「地元」って理屈じゃないんですね。だから上辺だけの作為は通用しない。そこに「ただ」あって、そしてい続けること。