シンポジウム 辺境と芸術

クロストーク④

地方から始める、

新たな実践の可能性

 

 

石倉  では地方から「平地人を戦慄せしめる」ような

    アートなり新しい実践なりは果たして提起できるんでしょうか? 

 

    『遠野物語』は実は東京で書かれたもので、

    岩手県遠野出身で幼い頃から土地の伝説を聞いて育った佐々木喜善という若者が口述し、

    柳田國男がこれを「感じたるままに(これも『遠野物語』の一節より)」筆記したものです。

    そこで柳田は東京にいながら、私は山人だ、という立場に立って、

    平地の人を戦慄させるという一つのお話をつくっていくわけなんですね。

    よくできた「物語」なんですが、必ずしも前近代的なドキュメントではないかもしれない。

    最近の人類学の言葉を使えば、「ノンモダン(非近代)」という時間軸に近いものです。

    『遠野物語』には、前近代/近代/脱近代という単純で一線的な時間の流れとは別に、

    決してそんなに段階的に変わっていかない、

    非近代的な人類の心や幻想のあり方が描かれています。

    これは辺境からモノを言うための一つの方法かもしれないと思います。

    さまざまな時間軸や価値観が交錯し、混ざり合うというのが現代の特徴ですが、

    その現代に、辺境から何を問えるのか。

    未来のアートや文化に対してこれだけはしなきゃいけないというものがあるとしたら、

    皆さんは何だと思いますか?

 

 

 

 

芝山  今関わっているプロジェクトで、いろいろ一区切りで気づきとしてあったんだけれども、

    民俗学とかそういうところにすら拾われなかった地域の文化が残っているんです。

    村で学生が木を彫るとなったときに、林業の町ですので、」

    80歳とか90歳のおじいさんがチェーンソーを使った彫り方を教えてくれるとか。

    ああいう村には学問的には拾う価値がない、とされた文化や人が残っているのです。


    プロジェクトは一旦閉じますが、また改めてやっていく構想をしています。

    村では「近代」とかそういう話をしても通じないと思うんで、

    人の楽しみとか、まだ生きている人たちの伝え聞いた文化だとか、

    秋田にはもっと隠された文化が残っているという実感が僕にはあるので、

    それを作品に反映していくようなことをやりたいです。

    田附さんなんかはそういうところに踏み込んでいて、普段写真をどこに保管しているかとか、

    そういう些細な生活にまで踏み込んだ作品を作られました。

    この次のプロジェクトでは、残された文化をあらわにしていきたいなと、

    個人的には思っています。

 

 

 

土屋  先ほど「地方から中央を撃ちましょう」と言いましたが、

    地方と中央の二項対立を固定しても仕方がない。

    そうしないための秘訣は「移動」だと思うんですよ。

    それぞれ根ざすところはあると思うんだけれども、

    たとえば大学という場所には「移動」するだけのモチベーションと知恵が揃っているわけです。

    だから、互いに「移動」しましょう、ということです。

    僕が沖縄に行って良かったのは、僕はウチナーと沖縄では呼ばれるんですが、

    心情的には沖縄にコミットメントしていて、

    だからよそから沖縄に人が来てくれると単純にうれしいんですよ。

    だから、せっかくだら見ていけよ、とよそから来た人を案内します。

    だいたい暗い気持ちになるところしか案内しないんですけど(笑)。

    そうやって「移動」して、都市部から沖縄に来たり、金沢に来たり、秋田に来た人たちに、

    何かを伝えていくということをやらなければならなくて、要するに、都会から金だけもらって、

    あとはこっそりやりましょうというのではなくて、「移動」による往還運動は必要だと思います。

 
    ここに揃っているのは全員大学人です。

    大学という高等教育でかつ芸術を教える人間が何ができるかということだと、

    地方同士、ネットワークを作って何かおもしろいことをやりましょうよ、ということなんです!

 

石倉  土屋さん、最初はダークな感じだったのに、ここへきてめちゃくちゃポジティブな提言ですね。

    最後にラテン系の一面を見せてもらいました(一同笑)。

    ありがとうございました。

    藤さん、いかがでしょうか。

  

藤   半年ぐらい秋田と沖縄で職場交代とかね。

    沖縄にいきたいだけだったりして。

    学生も交換留学したりね。

    先ほどの話にも出てきたんだけれども、

    都市部では仕事も情報も専門化して分業化していくけれども、

    地方ではなんでもやらなきゃいけなくて、百姓化した能力が必要になってくる。

    僕にはそれもおもしろいんですよね。いろんなことがやれるというかね。

    土地にも、植物にも、昆虫にも、動物にも向かい合わなきゃいけないということが、

    ものづくりをするときに自分の感覚に生きてくるような気がして、

    そういうことが生きて行くためにも大事かなと。

    逆に、僕は豊かさとかも含めて、

    生き延びるために辺境じゃなきゃ生き延びられないんじゃないかと思っているんです。

    減っているとはいえ、これだけの人口ですから、都市部では生き延びられないですよ、ある意味。

    困難にあったときにね。

    辺境というのは生き延びられる場所としてあって、

    生き延びるための技術を身につけていかなければならないんじゃないかな。

    人間はもともとそうやって生き延びてきたし、

    そこから学ぶということは重要じゃないかと思うし、

    そういうことに惹かれる人たちが集まってくるのかなという気もするんですよね。

    その面白さもある。


    アートっていう言い方で捉えるということが、僕は美術館の館長でありながらも、

    どうしてもひっかかっていて、「地方とアート」とかね。

    「アート禁止にしちゃえばいいのに」っていう話を何度もしたことがあります。

    アーティストっておもしろい人が多いのに、

    アートをやろうとすると途端につまらなくなっちゃうんですよ。

    地域に求められているのはもうちょっと違う要素だったりするのに、

    ついアート・プロジェクトというとアートしなきゃいけないと思って

    つまらないものになっちゃうから、いっそのことアートしなきゃいいのにって。

    でもアーティストって、そこに入り込んで何かをしていると、つい、

    何かにしてしまうんですよね。余計なことをしてしまう。

    それが一番おもしろいんじゃないかなと思っていて、

    そういう環境ができればいいのかな、と思っています。

 

 

 

 

石倉  藤さんがいう意味での「アート禁止の世界」って、

    逆転してみればすべての人がアーティストになっている状態だと思うんですね。

    宮沢賢治も『農民芸術論』のなかで「職業芸術家は一度滅びなければならない」と

    過激なことを言っています。

    そうすることによって、すべての人がアーティストになっていく、という逆説ですよね。

    昔の日本のお百姓さんは草鞋から道祖神まで自分でつくる「アーティスト」だった。

    アートというものを真剣に考えれば、流行の模倣ではなくて、

    何かしら人間の創造性に関わることが引き出せるのではないかということです。

 

土屋  ちょっといいですか? 

    藤さんのおっしゃったことにだいたい同意なんだけれども、一つ付け加えるとすれば、

    あと20年もすると確かに都市部は沈没するわけですよ。

    でも今の都市部からの地方への圧力にちゃんと抵抗しておかないと、

    都市部がつぶれる前に地方がつぶれるんですよ。それがいちばんやばくて。

    じゃあ何をしなきゃいけないかというと、都会から流れてくる資本とか、

    ずるいやつに対抗するだけの知恵をつけないといけないということだと思うんですよ。

    それは偏差値がどうこうという問題ではなくて、

    地方にいるなら地方なりの戦う知恵って必要だと思うんですよね。

    何かに対するリアクションを返すときにはそれなりの知恵が必要じゃないですか。

    やっぱりバカじゃできないんですよ。

    だから、「芸術は大丈夫、みんなに開かれてるんだよ」とか

    ソフトなことをいうやつもいるけれども、僕は古い意味の教養主義ではなくて、

    生きるための知恵、知識、技術、そういうすべてにおいて、今こそ我々地方人は……、

    ってなんかやばいね(笑)。

 

 

 

 

石倉  いいね!(笑)

 

土屋  今こそ我々地方人は、知恵をもって戦わなければならないのではないか! と思います。

 

石倉  「生きる知恵」としてのアートマネジメント。

    いいところでオチがつきましたけれども、そのためにも、「生きる知恵」を交換しましょうよ。

    沖縄と金沢でも、秋田でも、

    その地域でしか見えない知恵や生き残り方というのがあると思いますので。

    それを身につけることができれば、美大生にとっても地域の住民にとっても魅力的な場所として、

    大学というものが育っていくのではないかと思います。

    これからもぜひ、ネットワークを深めていければと思います。

 

 

白熱したクロストーク、ありがとうございました!
白熱したクロストーク、ありがとうございました!

                                           (完)