その5

沖縄在住のシティ派美術批評家

~モダニストとしての提言~

土屋誠一先生の話(前編)

©Atsumi Kosaka
©Atsumi Kosaka

土屋 誠一(つちや せいいち)

1975年神奈川県生まれ。美術批評家/沖縄県立芸術大学准教授。2001年第4回[武蔵野美術]評論賞受賞。2003年第12回芸術評論募集佳作受賞。以後、『美術手帖』、『10+1』、『photographers' gallery press』等で評論活動を展開。2005年「disPLACEment-「場所」の置換 下薗城二・宮内理司 展」、2007年「disPLACEment-「場所」の置換 vol.2 倉重光則展」

(photographers' gallery + IKAZUCHI)で企画・展示構成。2009年に「美術犬(I.N.U.)」を創設し、メンバーとして参加。2014年にはtwitter上で参加者を募ったアンデパンダン形式の展覧会『反戦 来るべき戦争に抗うために』を実施(SNOW Contemporary)。共著に『実験場 1950s』、『現代アートの巨匠』、『ラッセンとは何だったのか?』、『現代アートの本当の見方』、『現代アートの本当の学び方』など。


「辺境」、苦手です。

土屋  お招きいただきましてありがとうございます。

    沖縄県立芸術大学(以下、沖縄県芸)の土屋といいます。

    神奈川で生まれ育ち、大学時代は東京の多摩地域にある美術大学に通っていました。

    ちょうど7年前、縁あって沖縄県芸に赴任することになり、現在に至ります。

 

    つまり、私は自分でいうのもなんですが、都会っ子なんです。

    だから、「田舎」って非常に苦手な人間なんですよ。

    今、KAMIKOANIプロジェクトの話があったんですが、多分私、無理ですね(笑)。

 

 

 

土屋  私の勤める大学は首里城のそばに建っていまして、沖縄といえど町なかです。

    せっかくの沖縄で海の近くに住めばいいのになどと思われる方も

    いらっしゃるかもしれませんが、私は何かしらの「情報」がないとダメな人間なんです。

    かなり病的なtwitterユーザーですので、電波が入らないと困るし、

    エアコンが効いてないとダメだし、外に出るのも、歩くのも嫌、

    近くに本屋さんがあれば最高、ということで、

    沖縄の自宅は町なかのメガ書店の裏にあります。

 

    そんな人間なので、「辺境」っていうのが苦手な人間なんですね。

    そういう前提をまず皆さんにお知らせしておきます。

 



武雄市図書館に見る

「地方の知的・文化的水準問題」


土屋  昨日、秋田市に着いたので、だいたい観光をして、

    今日のシンポジウムまでに角館の仙北市立角館町平福記念美術館か

    横手の秋田県立近代美術館に行こうかな、と思ったのですが、

    どちらも微妙に遠くて諦めました。

    で、何をやっていたか。……twitterをやってたんですね。

    本当に、ロクでもないですね(一同笑)。



    地方の問題、ということで、ここのところtwitter上で話題になっている話のひとつに、

    佐賀県の「武雄市図書館問題」というのがあります。

    武雄市図書館は2013年からCCC(カルチャーコンビニエンスクラブ)、

    つまりTSUTAYAを運営する会社の指定管理となりました。

    「指定管理者制度」というのは、市町村が直営していた知的公共機関を、

    民間が代行していいよ、という制度のことです。


 

    twitterで話題になっているのはこの武雄市図書館の
    「初期蔵書入れ替え費で購入された資料一覧」です。

    この図書のリストが、まあどうにもロクでもない。

    ある一定の知的教養を持っている人なら誰がどう考えても

    このセレクションはないだろうというようなものなんです。

    つまり、それは知的公共財として税金を使って市町村が購入するべきものなのか、

    単にTSUTAYAの在庫を武雄市に押し付けられているのではないか、

    ということが問題になっているわけです。

    なぜこんなことになったのか、本当のところはわかりませんが、

    しかし結果的にろくでもない蔵書リストになっているのは間違いないだろうということで、

    私のタイムライン上では問題になっていました。

 

    公共の文化施設は将来来るべき活用の機会が担保された状態で

    運営されなくてはならないのに、ということが問題の要点ですね。

 

 

    武雄市には、書籍の価値をジャッジできる人がいないのか。

    以前は図書館司書がいたはずなので、当然プロの目で見ていたはずですね。

    「武雄市図書館問題」が明らかにしているのは、

    今の武雄市には、知的公共財としての本かどうかを

    見極めることができる人がいない、ということ。

 

    これは非常に問題ですし、地方の現状を典型的に表しているともいえます。



行き場のない

「文化的プロフェショナル」たち

土屋  指定管理者制度に言及するまでもなく、資本主義の原理は大切かもしれませんが、

    それとはまた違う何かしらの判断基準として、

    「文化的な価値基準」に従って何者かがジャッジされる、

    そういう状況を誰が作るのかといえば、

    その役割をかつては「プロフェッショナル」が担っていたわけです。

    そのプロが職を失って、あぶれているというのが現状です。

 

    今、図書館の話をしましたけれども、これは美術館でも同じこと。

    私も芸術大学と名のつくところに勤めているわけですから、

    私にもその責任の一部があると思いますが、人材を育てておきながら、

    その受け皿がないということが現在の状況です。

    この問題を直視しないといけないと思います。

 

    地方に行けば行くだけ、文化的なプロフェッショナルの受け皿が

    極端に少ない傾向にあることは事実です。

    都市部であれば、何かしら文化的なプロとして活動しながら、

    生活のための金銭に関しては他の労働で補うということが可能でしょうけれども、

    地方ではそれは成り立ちづらい状況になっていると思うんですね。

 

 

 

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