芝山昌也(しばやま・まさや)
1972兵庫県生まれ。金沢美術工芸大学で彫刻を専攻し、美術工芸研究科で博士号取得。2001ポーラ美術振興財団在外研修員として渡米。2009より秋田県上小阿仁村と十日町市仁田集落の交流プロジェクトを手がけている。彫刻家として個展やグループ展等で発表する傍ら、近年は秋田県のKAMIKOANIプロジェクト秋田のディレクションを行うなど、アートプロジェクトに積極的に関わっている。現在、金沢美術工芸大学彫刻専攻准教授。
芝山昌也先生(以下、芝山) 僕が初めて上小阿仁村を訪れたのは、2006年でした。
今の秋田公立美術大学の前身である美術短大時代で
教鞭を取っていた頃です。
町育ちの僕にとって、上小阿仁村に残る先祖供養の行事
「万灯火(まとび)」や、五穀豊穣を願う「鳥追い」などの行事は、
強く心打たれるものでした。
そこから上小阿仁村に通いながら、
「一人アーツ&ルーツ専攻」のようなことを始めたわけです。
それまで彫刻作品を作ってきただけの男だった自分が、
地域に関心をもつようになったわけです。
地元の人にも「変な人だな」と思われたんでしょうね。
だんだん、祭りに出かけると来賓席に座らされるようになったり、
村民の前で話をさせられたりするようになりました。
芝山 きっかけは僕が越後妻有大地の芸術祭 アートトリエンナーレに、
「KAMIKOANI(2009)」という立体作品を出品したことでした。
大地の芸術祭では、作品の展示だけではなく、上小阿仁村の「万灯火」を実演するため、
新潟県十日町市仁田集落に上小阿仁村小沢田集落から何人かの村民に一緒に行ってもらって、
現地で指導してもらいました。
国際アート展の中で、地元でもない場所で行事をやってくれないかという、
僕の無茶苦茶なお願いだったわけですが、
上小阿仁村の方たちはそれを快く受け入れてくれました。
この懐の深さが、僕が上小阿仁村に惹かれた理由の一つでもあります。
この二つの集落はいずれも過疎化が深刻な集落です。
しかし、この「万灯火」の開催をきっかけに、
仁田集落(新潟)と小沢田集落(秋田)の間で、人の行き来ややりとりができてきた。
こういう突飛なことはアートだからこそ実現できたことです。
アートというと理解しにくい、難解なものとして敬遠されがちですが、
上小阿仁村にはそれを受け入れてくれる懐の深さがあった。
さらに、上小阿仁村のなかにも、大地の芸術祭に同行してくれたスタッフも育っていたので、
「上小阿仁村で『大地の芸術祭』の飛び地開催をやらないか?」という、
これまた驚くような提案にもわりとスムーズに
「やりましょう!」ということになっていったんです。
芝山 こうして2012年、上小阿仁村のなかでも国道285号(通称:ニーパーゴ)から外れて
山奥にどんどん入っていったところにある八木沢集落にて、
大地の芸術祭の飛び地開催としてアート展が行われたのです。
それが最初の「KAMIKOANIプロジェクト」でした。
廃校になった木造校舎を拠点に、八木沢の田んぼや、川や、
誰にも使われることのなくなった小屋などがアート展の展示場になったのです。
1ヶ月半ほどの期間中に9000人を超える来場者があり、
村の人々は口々に「昔の活気が戻ったようだった」とうれしそうに語ってくれました。
その後、「KAMIKOANIプロジェクト」は単独で開催されるようになり、
2013年には沖田面会場が、2014年には小沢田会場が、新たに加わるなど、
次第に規模が大きくなっていきました。
芝山 このプロジェクトでは、上小阿仁村に残っている貴重な生活文化や伝統行事を、
他の地域に住む人たちに伝えたい、という思いがありました。
地元に住んでいる人にとっては当たり前でも、他の地域の人の視点から見れば
それが非常に貴重なものであることが往々にしてあります。
それは僕がこの上小阿仁村に惚れた理由でもあるので、
それを多くの人に伝え、
さらにそれを地元の人にこそ理解してほしかったのかもしれません。
2012年当時、地元の中学生だった田中愛子さんの作文を元にしてはじまった
「番楽サミット」はその成功例の一つです。
作文には村に残る伝統芸能の継承の仕方についての構想が書かれていました。
それを元に、総務省の制度である地域おこし協力隊の人たちが中心になって、
村の大人たちが、村の三大芸能「小沢田駒踊り」、「大林獅子踊り」、
「八木沢番楽」を復活させ、上演し、
さらに他の地域の芸能を招いて競演をする、というものです。
この「番楽サミット」や伝統芸能イベントを見た子どもたちが、
今は小学校の高学年や中学生になっているのですが、
小中学校の郷土芸能学習の「八木沢番楽」という活動が
この世代の子どもたちに大人気で、なんと満員!
抽選をするまでになっているのだそうです。
今まで番楽なんて見向きもしなかったような子どもたちに
「番楽って、かっこいいんだ!」という意識が芽生えている。
これは当プロジェクトをやってきて本当によかったと思えることでした。