皆川先生「はい、ここです。到着~」
民家にしては非常に広い敷地ながら、ここは県南。
広すぎる敷地に広すぎる家が「標準仕様」の地域である。
ただ、普通の民家と異なるのは、
「皆川嘉左エ門アトリエ」という達筆な看板と、
ベランダから突き出す彫刻作品。
迎えてくれたのは皆川嘉左エ門さんと、妻の誠子さん。
敷地奥にあるアトリエ。
製作中のたくさんの彫刻作品が。
どの作品も日本全国からの注文を受けて、制作しているものだといいます。
3階には展望台まであって、大変豪華なアトリエです。
嘉左エ門さんと誠子さんに彫刻を始めてこれまでの話を伺いました。
嘉左エ門さんと誠子さんは柔らかさが印象的な県南地域の言葉でお話しくださいましたが、
聞き取りと表記が難解だったため、
ここでは皆川先生が標準語に通訳してくださった文章を掲載します。
嘉左エ門さん「子どもの頃から手近にある木っ端などで、何かしらは彫ってたな。昔の農家は今よりずっと貧しくてね、彫刻なんて余計なことをしている人間など、はみ出し者扱いだった。父親にはしょっちゅう怒られて、殴られる。それでも何くそと思い続けて、完全に我流で、彫刻を続けてきた。」
誠子さん「次第に注文が入るようになると、今度は周囲がやっかんでね。
嘉博は『センセーの子』なんていじめられて、かわいそうだった……」
嘉左エ門さん「我流でやってるということは、何の後ろだてもないからな。だから嘉博が芸大に入った時には、もう一家で喜んだもの」
嘉左エ門さん「作品の主題として農民を選んだのは、彫刻を始めたあとだった。初めは裸婦とかも彫ったりしていたんだけど、俺だけの主題を考えなければならないと思って、よくよく考えたらやはりここ横手での暮らしだった。じいさまの時代からずっと地べたを這いつくばるようにして、働けど働けど豊かにならない農民の暮らし。折しも政府が1969年に減反政策が始まった頃で、ずっと農家だった俺としては、『これから農家はますます大変な時代になる』と直感しました。自分自身は農民の暮らしはとにかく貧しくて辛かったし、親父にはずっと創作活動を「そんな役に立たないものやめろ」と言われ続けて、いやで仕方なかったが、自分が体の底から実感している主題といえば、やはりこの『農民』という主題だったのです」
嘉左エ門さんの話を伺っていると、生まれ落ちた場所や環境や家族、
そういったすべてが自分に味方していなくても、
芸術は可能なのだ、という強い意志を感じます。
これらの話はまさに
「潜入ルポ:シンポジウム「辺境と芸術」」のときの
土屋先生のお話しにあった「文化資本」に通じてもいるのです。
興味のある人はこちら
そんな嘉左エ門さんが、減反政策に対するアンチテーゼで始めたという画廊
その名も「減反画廊」へ案内していただくことになりました。
【問い合わせ先】
皆川嘉左エ門アトリエ
秋田県横手市十文字町二井田字大道西472-3
☎︎0182-42-2162