土屋 僕がいいたいのは、一つには郷土の知恵とか、古い文献とか、
図書館の郷土本コーナーってけっこう重要で、そういうものをなくしてしまって
本当にいいの?っていうことです。
二つ目の問題は、いわゆる限界集落ってどうやって成り立っているのかというと、
地縁・血縁の文化じゃないですか。
それに対してではアートが何をできるのかっていうのは、非常に難しいところがあって、
このままグローバリゼーションが進んでいけば、
そういう集落は最終的にはなくなるだろう、と。
さらに言えば、古い共同体の形を残すことは確かに重要です。歴史的な財産として重要である。
それでも、そこに住んでいる人たちにしてみれば「近代化したほうがいいじゃん」という見方も
あるじゃないですか。だって不自由だもん、と。ある意味近代化した方が自由にはなる。
でもそれで失うものがある、という話なんですよ。
では、秋田や沖縄や、金沢といった、大都会ではないところで
芸術というものを紐帯にしてネットワークを構築できるのかな、というのが
一つの課題だと思います。
先ほど東京の方がアクセスポイントの面で有利だ、と僕が言ったのは、
実は違うと思うんですよ。
東京にさえいればいい作品を見れますよ、というのは、ここ十数年で整備されてきた
環境だと思うんですが、今はもう、ググれば出てくる。
ただし、そこには先ほど申し上げたクラスタリングの問題があります。
つまりあるクラスタに属する人はあることに非常に興味を持つけれども、
別のクラスタはまったく興味を持たないという、住み分けですよね。
これは地域の問題ではなく、このクラスタリングは加速化している。
今、3つの問題と観点を申し上げましたが、これは非常に複雑な方程式で、
今のところ僕には解は見つからない。
こういう現実があると思う、というところを述べました。
石倉 確かに田舎では個人の自由が「見えにくくなる」というところはあるかもしれません。
たとえば「田舎は前近代的で、女性が不自由に差別されている」という見方がありますが、
歴史を遡ったり、現地で話を聞いてみると、必ずしもそうとは言い切れなかったりする。
実は男性よりも女性の力が強いとか、差別されている筈の女性には、
西洋的ではない別の「個人主義」の思想があったりするわけですよね。
でも、土屋さんが言うようにそういう知識はたいてい郷土史的なもので、
図書館やアーカイヴがなくなれば、アクセスすることもできなくなってしまうわけです。
例えば上小阿仁村などは、ネットでググれば、お医者さんを次々に追い出してしまう
野蛮で閉鎖的な村で、そこの住人は粗野で排他的な人だという
無責任な書き込みがいくつも見つかる。
つまりあるクラスターの中では、上小阿仁村はとても現代人が住めるような場所ではない、
ということになってしまっているんですよね。
こういうデマがはびこる時期に、上小阿仁村に入って行って
アートプロジェクトをやっている芝山さんは、浅薄なクラスタリングに抗い、
村が消えるかもしれないという切実な現実に寄り添って芸術祭を続けてこられました。
上小阿仁村にはローカルメディアとして新聞社があって、
活版印刷を一人で続けていらっしゃる方もいらっしゃいます。
芝山さんは、上小阿仁村に残っているこういう文化資源の価値というのを
どのように見ていますか?
芝山 上小阿仁村の隣の井川さくら駅にはイオンがあって、上小阿仁村にはないんです。
大資本に侵されていない分、いろいろなものが残っていて、上小阿仁新聞が生き残ったのも、
たまたま近くに便利なコンビニなどがなくて、コピー屋さんがなかったからのようです。
つい最近まで活版印刷で村役場のタイムカードを刷ったりして、
営業も続けてこられたのだといいます。
上小阿仁村の人たちは、活版印刷の希少価値を知らなくて、
よその人たちが「ええ! 活版印刷が残ってるんですか?」と驚くのをみて、
逆に驚いたという話もありましたから、よそ者を地域にどんどん入れたということは、
村民の方たちにとっても自分たちの村の価値に気づくきっかけになったようです。
アクセスポイントの話がありましたが、上小阿仁村にはまったく現代アートの
アクセスポイントはありませんでした。
だからこそ、住んでいる村民自身が自らキュレーションをするような形で
アートプロジェクトを作っていったんです。
作品の置き方や、伝え方を考えたり、身につけたりしていったのは、
プロジェクトのおもしろい効果だったように思います。
たしかに、地縁・血縁のネットワークは強くて、
この場ではお話できないような話が運営に関わってきたりすることもあって、
苦労はもちろんありましたけれども、それはどこの地域でもあるのかな、と。
石倉 先ほどの発表の最後に、田附さんの作品『見えないところに私をしまう』を
紹介されていましたけれども、あの写真が撮られた三ヶ月後に
一番大きな写真の被写体になった佐藤リョウゾウさんが亡くなったわけですよね。
田附さんはそれを受けて、翌年は小屋の外から写真を覗くような展示方法に変えたり、
喪の明けた今年はまた中に入れるようにしたりと、
「開く/閉じる」の操作が非常に印象的な作品でした。
このように、地域の文化はその土地の独特のリズムで
「開く/閉じる」を繰り返しているけれど、
しばしば「閉鎖的」と誤解されます。
どういう開き方、閉じ方をしたら、地域の特性を生かすことができるんでしょうか。
『見えないところに私をしまう』
写真家・田附勝さんが「KAMIKOANI プロジェクト秋田」に出展した作品名。
2013 年の夏に、限界集落である秋田県上小阿仁にある八木沢集落に一週間滞在しながら地元の人びとを撮影し、古びたトタン小屋のなかに展示された。
それから3年もの間展示は続き、雨や雪、 風にさらされ埃で消えかけていく写真たちの経年劣化も含めて表現した作品である。
藤 まず僕は地域らしさということ自体、作っていくことだと思っているので、
興味関心って作ることにしかないんですよ、僕自身は。
おもしろい状況とかありえないようなものとかをつくっていくことにしかないとすれば、
残すかどうかということについてはあとの問題として、
それ以前に、辺境において興味を持っているのは、希少種ですよね。
希少種が多いということです。
植物、動物、人種、風習など、近代化で平たくされる前のものが
辺境には残っている場合が多い。
それはこれから何かを作ろうとする人には
ある種の感性を刺激しているんじゃないかなと思うんですね。
いろんな情報や興味関心が集まってくる都心部でつくるという方法もあると思うけど、
それももちろん興味がある人がいてよくて、それと同時に、こういう辺境に興味を持つ人が
何かをつくろうとするところから何か出て来ないのかな、というのは
すごく一番興味があるかな、という気がするんです。
その延長に、「土地らしさ」とかそういうものが出てくれば、
いちばんいいんじゃないかと思うんですよ。