芝山先生のゆるやかなサーブを
土屋先生がいきなり直接アターック!
会場に「どうなる!?」と興奮と緊張が走ったところに
藤先生が穏やかながら変化球のトスをあげて、
各パネリストの発表が終了しました。
この後のクロストークでは、さらに白熱したやり取りが交わされます。
石倉敏明(司会)
文化人類学者
秋田公立美術大学講師
(アーツ&ルーツ専攻)
芝山昌也
彫刻家
金沢美術工芸大学
彫刻専攻准教授。
KAMIKOANIプロジェクト
ディレクターでもある。
土屋誠一
美術批評家
沖縄県立芸術大学准教授
この日のために沖縄から
お招きしたゲスト。
藤浩志
美術家
十和田市現代美術館館長
秋田公立美術大学教授
自ら「辺境好き」を公言。
石倉 それぞれの発表のなかで、「地方」という無味乾燥なくくり方が問い直されて、
活き活きと血の通った「地域」の姿が現れてきたように思います。
芝山さんからは、アートプロジェクトの発端からお話いただきました。
上小阿仁村に興味を持つようになったきっかけから、
次第に芝山さんの関心や村人との関係が深まっていく様子が感じられました。
土屋さんからは対照的に「上小阿仁、無理」とか(ネット書店ではなく)
「メガ書店が好き」というホンネが聞けて、おもしろかったですね(笑)。
そして、田舎や辺境に癒しを求めるだけでなく、
土地のリソースから新しい現実を見せていくことについての考察がなされました。
指定管理の問題、これはパブリックスペースとしての
美術館、図書館すべてに言えることですが、
どのようなコンテンツを揃え、どうやって管理するのか。
そしてアーカイブ的に知的財産を蓄え、
媒介していく文化的なプロフッショナルをどのように養成していくのか、という問題です。
至極まっとうなモダニストとして、また教育者としての提言でしたが、
時間を超えて必要なってくる視点ではないかと思われます。
同時に文化的な格差、所得格差についての問題もご指摘いただきました。
藤さんは現役の美術館の館長さんです。
指定管理も行われている美術館の館長さんでもあります。
文化的なプロフェッショナルでいらっしゃいますが、藤さんのお話を聞いて、指定管理も、
美術館の所蔵作品をいかに管理するのかということが大切だと思いました。
聞くところによると、藤さんは館長さんなのに館内の掃除もされるそうで。
藤 掃除ばっかりしてますよ(笑)。
石倉 雪かきもされるんですよね。
藤 雪かき、当然ですよ。
石倉 社長さんで会社のトイレ掃除をされる方がいらっしゃるようですが、
雪かきまでする館長さんはあまりいないんじゃないかと思います。
どこまで作品に近づいて、どうやって評価するのかという具体的な話をしてくださいました。
また、食べる・生活する・稼ぐ・活動をつくる この4つは別のレイヤーであるということ、
それをつなげるためにアートができることという可能性の話も浮上してきました。
石倉 ここからはフリートークとしたいのですが、
まず、土屋さんが「地方のアクセスポイントの少なさ」を挙げていらっしゃいました。
他の方たちは、どうお考えでしょうか。
藤 先ほどの土屋さんのお話では近代美術のことをおっしゃっていたのだと思いますが、
秋田や青森にはそういう近代美術とは違う芸能、祭り、風習といった
文化へのアクセスポイントがたくさんあると思います。
それこそ上小阿仁村などもそういうものの宝庫ですよね。
クリエイティブな感覚で何かを作っていくときに、アー トの概念とは違うところで、
ローカルだからこそ、未だにアクセスポイントが残っているというところが
いっぱいあるんじゃないかな、という気がするんですよ ね。
石倉 僕はアーツ&ルーツ専攻で文化人類学を教えていますが、藤さんがおっしゃるとおり、
ある意味ではアクセスポイントを求めて秋田に来たようなところがあるんで すね。
たとえば大都市よりも北東北の地方都市の方が、民俗学的な意味でのリソースや
数千年規模での芸術活動へのアクセスポイントは多いわけです。
ちょっと 足を延ばせば「鹿島さま」のような人形道祖神があっ たり、虫送りがあったり、
縄文遺跡の環状列石があったりする。
もちろん、そこには土屋さんのいう郷土史的なリソースというものが含まれているわけですね。
土屋 アクセスポイントにはいくつかあって、
そういう文化的なものへの無形のアクセスポイントという意味では
おっしゃるとおりだと思いますが、
美術館とか図書館のような、有形のアクセスポイントというのはもっと必要だと思います。
さっきはちょっと言い過ぎてしまって、ずっと家のなかに引きこもってるような言いぶりに
なってしまいましたが、私だってたまにはフィールドワークをするんですよ(笑)。
って、言い訳しなくてもいいんだけど!