1960年鹿児島生まれ。美術家/十和田市現代美術館館長。秋田公立美術大学教授。京都市立芸術大学在学中演劇活動に没頭した後、地域社会を舞台とした表現活動を志向し京都情報社を設立。京都市内中心市街地や鴨川などを使った「アートネットワーク'83」の企画以来全国のアートプロジェクトの現場で「対話と地域実験」を重ねる。同大学院修了後青年海外協力隊員としてパプアニューギニア国立芸術学校勤務。都市計画事務所勤務を経て92年、藤浩志企画制作室を設立。各地で地域資源・適正技術・協力関係を活かしたデモンストレーションを実践。著書に『藤浩志のかえるワークショップ』、『域を変えるソフトパワー』など。福岡県糸島市在住。NPO法人プラスアーツ副理事長。 http://geco.jp
藤 鹿児島と青森って、岐阜あたりで日本地図を半分に折ると
まるでぴったり重なるような地形にも見えます。
津軽半島が大隅半島で、下北半島が薩摩半島。
八甲田あたりが霧島山とか。
鹿児島に新幹線が通じるという話になったときに、
「今どき新幹線が通るぐらいで盛り上がるなんて」って
多くの人たちから冷ややかな視線をうけましたが、
そんななか、青森の人たちだけが「そうだよね、やっとつながるよね」って
同じ意識を持ってたんですよね(笑)。
考えてみると日本列島の端っこ同士。
東京を中心として1960年代から拡がっていった新幹線の波が
ようやく50年後に青森と鹿児島まで届いたという感じでしょうか。
そんなことでやたらと盛り上がり、青森に親近感を持つようになったんです。
そんなときに東日本大震災が発生し、その後東北での活動が多くなり、
十和田市現代美術館で勤務することになりました。
藤 辺境には空き家も使えなくなった施設も廃村もあり、
表現するための場は溢れるほどあります。
だから地域にアートが動きだす仕組みさえあれば
美術館のような器はいらないという話もありますが、
継続的におもしろいプロジェクトなどをやっていくとなると、やはり拠点がほしい。
でもその拠点を運営していくのはけっこう大変でね、結局お金の話になってくる。
十和田市現代美術館は、人口6万人という過疎の危機にある
青森の地方都市にできた美術館です。
十和田湖は風光明媚な観光地ではあるのですが、
十和田市のまちなかには観光客が来ることもなく、シャッター街になっていった。
最初はそこにパブリックアートを設置して、まちを元気にしよう! という話だったんですが、
単にパブリックアートを置いてもなかなか集客が見込めるわけでもなく、
いろいろ計画を練るなかで生まれてきたのが、今の十和田市現代美術館です。
当初、最大で4万人ぐらいの来場者を見込んで計画したのですが、
開館してみると最初の年に18万人、その後も13~14万人の来場者が毎年来ているようです。
こうして風景が変わったことで、まずまちの人たちが変わりました。
自分の家にきれいなリビングができたみたいな感じかもしれません。
住民の散歩やジョギングコースになったり、早朝ヨガをしたりね。
全国からおしゃれな若い女性のお客さんもくるようになったり、なんて(笑)。
有名なアーティストやかなり興味深いアーティストが出入りするようになり、
住民が現代アートを積極的に楽しむようになり、
市内在住のデザイナーやアーティストが増えたりして、まちが変わっていったんです。
そうなると青森県のなかでも「十和田で暮らしたい」と思われるようになってきて、
全国的にも暮らしたいまちにランクインしたり。
藤 ただ、これがどこまで続くかはわからないです。
20年後、日本中で人口がガツッと減るわけですから、
そのなかで十和田市は生き残りの賭けをしているわけです。
でも個人的には、ここが美術館としてあるのもいいんだけど、
仮にここが廃墟になっても魅力的だと思うんです。
たとえば、そのまま役場として利用されたりして、
ロン・ミュエクの作品の下で市役所職員がデスクワークしてるとかだったら、
いまよりおもしろいかもしれない。
僕は「パーマネント」、つまり恒久的に永久保存されるという考え方がすごく嫌いで、
作品には旬があるし、賞味期限があると思っていますから。
とはいえ、十和田市という地方都市の投資としては、
建築費用、制作コストをかけても、
某県立美術館みたいに百何十億とかけているわけではなく、
草間彌生やロン・ミュエクのような常設の作品も含め十数億円程度の投資ながら、
市の広報という面でも、観光客の集客の面でも悪くないようで
いい投資になっているのではないかと。
一応、館長だからこういう話もしないとね(笑)。
藤 この写真は十和田市内の中心部から少しだけ離れた飲屋街なんですけど、
スナックのネオンに混じってチェ・ジョンファという
韓国の作家がぶら下げていった作品がいまだに地元の人から愛されているんです。
この前も「藤さん、壊れたからあれ、直してよ」と言われて、
チェ・ジョンファに連絡とったら、息子さんと一緒に十和田に来たりしてね。
チェ・ジョンファがきたら地域の人たちはとても喜ぶんです。
作家の人柄だと思うのですが、ちゃんと関係ができている。
地元のおっちゃん、おばちゃんが、
こうして韓国を代表する作家と知り合いになっているというのは、
ちょっとしたマジックだと思うんですね。
藤 これは美術館というセンターがある効果だと思うのですが、
企画展が変わるごとにまちの風景も少しだけ変化します。
まちの人たちがアーティストに刺激されて何かをはじめるんです。
山本修路というアーティストが十和田に通うようになり、
地域の人とお酒を作りのために、米作りから始め、
収穫して「酒プロジェクト」がはじまり、
地元の酒造会社「鳩政宗」と「天祈(ての)り」というブランドで
毎年限定で売りに出されるようになったり、
まちの酒屋を作家が勝手に改装してそのプロモーションのコーナーをつくってみたり、
また八甲田の山の楓の木からメープロシロップをとるプロジェクトを学芸員とはじめたり、
まちの縫製工場とアーティストが一緒に何か作り始めたり、
引っ越してきたアーティストが青年会議所と
「ウマジン」という馬のキャラクターをつくって、いたるところに登場したり、
松本茶舗さんという雑貨屋さんの地下室がギャラリーとなって、観光の拠点となったり。
こうして作家が作品をつくるというだけでなく、
作家が地域の企業やおっちゃん、おばちゃんと
何かを作っていこうとするのがおもしろいなと思っています。
それはお互いに人生の意味を新たに見つけていくみたいなことにもなっているんです。
あたらしい盆踊りや音楽祭を行ったり、楽しいことはいっぱいある。
詩人の管啓次郎や、作家・漫画家の小林エリカ、小説家の石田千、
小野正嗣、写真家の畠山直哉などを呼んで、
土地のことをヒアリングして一冊の本にするということもやりました
(『十和田、奥入瀬水と土地をめぐる旅』2013、青幻舎)。
まちにアーティストが入り込むことで今までと違う視点を作ることができるんです。
住民は知っているつもりでも知らないことがけっこうある。
風景のなかに潜む気配や魅力やそこからつながる歴史や広がりをイメージできないんですよ。
だから自分たちの地域には何もないし、つまんないと思っている。
そこにアーティストをはじめとしてさまざまな創作者が入ることで
おもしろいことをどんどん拡大してくれて、
何かしらの新しい活動の形にできるということが重要なんじゃないでしょうか。
その7 へ戻る ← → その9 へ進む