柳澤さん「次は五城目町の地形を知るために、五城目城に登ってみましょう」
五城目城はもともと山城で天守閣などはなかったそうですが、
2005年(平成18)に「模擬天守」というかたちで設城されたそうです。
※模擬天守……現存・復元・復興天守に含まれない物、つまり実在の天守に由来しない天守のこと。一見本物風から一見してあやしいものまでいろいろある。
入場は無料。
なのに、窓口でチケットをくれる。
不思議なシステム。
柳澤さん「五城目城のあるこの小高い山が森山といいます。
西側に男鹿の海、南側に見えるのは太平山。
太平山は秋田市から上小阿仁村にまたがる山ですが、
僕らの拠点がある馬場目地区の由来となった馬場目岳とも麓を接しています。
この山の麓沿いに馬場目川という川が流れていて、上流には萩形ダムというダムがあります。
昔はこの水路と、山の尾根伝いにマタギの人たちがやってきて、
木材やクマの皮や胆などを運んできたり、
城下町の鍛冶職人に山仕事の道具を作らせたり、という交流があったそうです」
石倉先生「山の道、というのは今は見えにくくなっていますが、市ができるよりずっと以前から、
山伏やマタギがそこを通ってきたという歴史があります。
つまり、山が重要な交通網になっていたわけです。
お配りした地図をごらんください。
五城目を中心として秋田市、男鹿、
阿仁がほぼすべて20~30キロ圏内に入っているのがわかります。
五城目町が市として栄えたのは、地の利で
山のもの、海のもの、そして町の人、
この三つのちょうど中間点に位置していたからとも言えます。」
石倉先生「なぜ、ここで地形の話などをしているのかとお思いの方もいらっしゃるかと思います。
『地形とアートに一体どんな関係があるのか?』と。
実は、これはアート、特に地域とアートということを考えるにあたっては非常に重要なことです。
とくにこのAKIBI plusは「地域課題をアートで解決する」、とまあ、
かなり大上段に構えてスタートしていますが、
アートに地域課題を解決することが本当できるのか、
そもそも『地域』などというものが本当にあるのか、
そういったことを考えるにあたり、その『地域』を作ってきた
風土や歴史、それを作ってきた地形がいかにできたか。
そういった長いスパンで地域を知ることは必要不可欠です。
僕が教えているアーツ&ルーツ専攻では、そういう授業を行っています」
柳澤さん「では、五城目町の長~い歴史を知るために、
五城目の縄文時代の文化を学ぶことができるところにいきましょう」
バスは「環境と文化の村”文化の館”」へ。
縄文土器の破片などを見て、
古くから栄えた土地であることを実感……もしながら、
心のなかの大半を占めていたのが
「ダメだ、お腹減った!」という心の叫び。
バスに戻ると、柳澤さんはさわやかな笑顔で
柳澤さん「みなさん、お腹空きましたよね?」
はい! はい! もちろんです!
実を言うと、文化の館に着いたときからペコペコでしたから!
柳澤さん「この次はいよいよお昼です。
われわれの拠点がある馬場目のもっと奥、蛇喰(じゃばみ)というところにある
農家レストラン『清流の里』へみなさんをご案内します。
いや~、実は今日、ここにいくために、
バスは特別に幅の狭いものを急遽お借りすることになったんです」
確かにバスはどんどん山の奥に入っていく。
道は細くなった、というよりも、ここ、道?というぐらい、舗装されていない山道。
絶対、行き違えないけど、大丈夫ですか!?
柳澤さん「今、僕たちは五城目町を東西に流れる馬場目川の上流域に沿って走っています。
集落が点在していて、僕たちの拠点である町村のさらに奥、
恋地(こいぢ)、坊井地(ぼいぢ)、杉沢、落合、
そしてさらにその奥が今、目指している蛇喰になります。
馬場目川は馬場目岳に源流があるとされており、
豊かな自然や森林資源に恵まれ、秋田スギや木炭の一大生産地として、
藩政時代から昭和40年代まで大いに栄えたところです」
柳澤さんのお話を聞きながら、目にも鮮やかな紅葉を愛でつつ、
道なき道を行くこと 30 分。
ようやく蛇喰の「清流の里へ」